守山宿 町家「うの家」からのお知らせです。
こんにちは!いつも”うの家”のブログを読んでいただきありがとうございます!守山南中学校2年生です(*^_^*)
中山道の歴史について詳しく聞いたので、少し紹介します!
中山道とは、江戸時代の五街道のひとつであり、交通の要地でした。
江戸時代の一般庶民の旅の行程は一日約八里(約32キロ)でした。
京~守山間は八里六町(約32.6キロ)だったので、京から中山道を通って江戸へ行く人たちは守山で泊まりました。
このことから、「京だち守山泊まり」として宿場は繁栄し、今宿や吉身まで宿場町が広がっていました!
お茶壺道中
お茶壺道中とは、将軍家で喫する宇治茶を毎年4月中旬から5月上旬にかけて、宇治~江戸に運ぶことです。
往路は東海道、復路は中山道を通りました。
このお茶壺道中には絶対的権力が与えられていたので、たとえ大名行列であっても道を譲り、端で腰を低くして過ごしたそうです。
宿場では、突発的な事故を起こしていないか気を配り、豪華な食事でもてなし、特産品の手土産を付けました。
権力のかたまりの様な行列に何事もなく通りすぎてほしいと嫌われていた様子が、童謡「ずいずいずっころばし」の一節に歌われています。
茶壺に追われてとっぴんしゃん 抜けたらどんどこしょ
この部分です!
お茶壺道中が来たら逃げるように家へ入り、戸を閉め、赤ん坊や犬をなかさないようにあやして静かにして、お茶壺道中が通り過ぎると喜んで表へ出ていく様子を表しています。
よく歌われる歌ですが、こんな意味があったなんて驚きですね!!
中山道守山宿はこんなにすごいんです!
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